2011年10月27日

No64 “広告のない新聞”


64-1 読売新聞23.10.20.jpg

今月(平成23年10月)20日の読売新聞夕刊を手にして、びっくりしました。

折りたたんである第1面を広げると…

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何か変だと感じたのですが、よく見ると下段部分の広告がありません。

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広告の消えた真っ白の中央部分に、『東日本大震災の直後、広告が消えた新聞をおぼえていますか。』とのメッセージが1行だけ記されていました。

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ページをめくって、またびっくり。
なんと両開きのページがご覧の通りです。下半分は記事がありません。

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そこには、『広告スペースも、記事で埋めつくされた。それでも、悲しみのすべてを伝えることはできなかった。』、『社会の活力がなくなる時、広告は、カンタンになくなってしまう。』と、東日本大震災報道と、新聞広告の関連を伝えるメッセージが綴られていました。

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さらに次の見開きは、なんと大胆に、左側ページは全く記事がありません。

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『そこに新聞広告がある、ということ。 読売新聞』
『そばに医師がいる、ということ。 東京都医師会』
中央に、この2行のメッセージが…。
ここにきて、初めて「読売新聞」と「東京都医師会」のジョイントメッセージだということが分かりました。

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さらに次は、両面、2ページ大のメッセージです。

64-10 読売新聞23.10.20.jpg

中央には、ご覧のメッセージが…。

64-11 読売新聞23.10.20.jpg

そして最終のラテ欄ページもご覧の通りです。

64-12 読売新聞23.10.20.jpg

最後のメッセージは、『東日本大震災では、多くの被災地が、病院や診療所を失いました。』とあります。

ひの奇抜な紙面構成は、新聞週間に因んだ、「読売新聞」と「東京都医師会」のコラボでした。

ふだんとは極端に異なった表情を見せることによって、新聞や新聞広告、また医師や医療、診療所といったものを逆説的に、効果的に、意識・イメージさせ、その存在を再認識してもらおうという狙いなのでしょうか。

それにしても大胆な紙面構成でした。
こうした紙面は度々行うことは不可能であり、東日本大震災がもたらした、ひとつの“時代の表情”としてご紹介しました。

[撮影データ]
  〇平成23年10月20日 読売新聞夕刊

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2011年10月21日

No63 33年ぶりの花電車 〜都電荒川線〜


10月に入り、東京の下町荒川区の三ノ輪橋駅と、新宿区の早稲田を結ぶ都電荒川線で「花電車」が運転されています。
毎週日曜、沿線はカメラを構えた老若男女で大賑わいです。

63-1 都電花電車 23.10.10.jpg
  ▽ 花電車がやって来ました。
      カメラを持つ手が、興奮で震えます。 
                         JR大塚駅前 23.10.10 ▽

63-2 都電花電車 23.10.10.jpg
  ▽ いよいよ目の前を通過 想像以上に素敵な花電車です ▽

この花電車の運転は、明治44年、現在の東京都交通局の前身、東京市電気局がそれまで3社で運行してきた路面電車事業を買い受けて新たに発足、今年で100周年を迎えた「都営交通100周年」記念のイベントとして運転されているものです。

63-3 都電花電車 23.10.10.jpg

都電の花電車の運転は、昭和53年以来、なんと33年ぶりです。
都電は、明治・大正から戦後に至るまで、数多くの花電車を運転してきました。
主に皇室の慶賀や紀元2600年奉祝など国家の祝い事、戦後では昭和22年の日本国憲法施行記念、30年の復興10周年・都民の日記念、34年の皇太子殿下ご結婚などの祝賀行事や、53年の荒川線新装記念(ワンマン化)などの際に、車両を改造した花電車を運転してきました。

今回の花電車は昭和53年の荒川線新装記念以来33年ぶりの運転とあって、沿線は多くのカメラマン、花電車を懐かしむ年配の人たちで何処も大変な賑わいを見せていました。

63-4 都電花電車 23.10.10.jpg

今回の花電車のデザインはバースデーケーキをイメージしたものだそうで、初めて花電車を見た子ども達は、「かわいい〜!」としきりに歓声をあげていました。
私もカメラを持って興奮し、電車を追って思わず走り出してしまいました。

63-5 都電花電車 23.10.10.jpg

花電車はこのあと、今月23日(日)、30日(日)にも運転されます。
時刻表などは、東京都交通局のホームページでご覧に慣れます。


[撮影データ]
  〇都電荒川線 都営交通100周年記念花電車 「大塚駅前」付近
  〇平成23年10月10日撮影

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2011年10月13日

No62 こんな車内ポスターが…


先日、通勤電車で、ついつい見入ってしまう、ユニークな、楽しい車内ポスターと出会いました。

62-1 ユニークな車内ポスター.jpg

ビール会社の、ダイエットビールの広告ですが、よくもまぁ、こんなに沢山の体型に関する語彙を集めたものです。まったく感嘆、いや関心してしまいました。

見えにくい、左の方のほっそりタイプの文言は、こうです。

62-2 ユニークな車内ポスター2.jpg

「あなたは、との辺り?」と聞いています。

シンプルですが、なかなか、じっくりと読ませますね。
あまりにもじっくりと読んだため、メーカー名も、商品名も覚えることを失念してしまいました。

注目度としてはピカイチでしたが、ポスターとしての出来が良すぎると、肝心の企業としてのアピールの方がお留守になってしまいますよね。

[撮影データ]
   〇車内の広告ポスター
     京王線車内にて
   〇撮影
    平成23年9月30日
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2011年10月05日

No61 いまに語りかける東京・下町 〜市民が写した129の世界〜


東京銀座で、東京の下町生まれの写真家、秋山武雄さんの素晴らしい“昭和の写真展”が開かれていますのでご紹介します。

61-10 写真展 23.10.3.jpg

東京足立区西新井の朝の賑わいの表情です。
リヤカーを押す人々。後ろは、東武バスです。
51年前の夏、昭和35年8月のひとコマです。

61-1 写真展 23.10.3.jpg

会場の「銀座ニコンサロン」です。
129点の“東京・下町”の昭和時代が、息づいています。

61-2 写真展 23.10.3.jpg

東京上野や浅草で撮影された人々の暮らしです。
左上は昭和36年11月、浅草で撮影された、懐かしい紙芝居の光景です。

左下はいわゆる“お面屋”さんです。
びっしりと並べられたお面の数々、周りには何もないので、凄い迫力です。当時、男の子は月光仮面、女の子は花嫁さんのお面が定番だったそうです。

61-3 写真展 23.10.3.jpg

『昭和30年代 瞼、閉じれば東京セピア』と題された写真展です。

東京・台東区浅草橋に在住の秋山さんが、15歳の時から撮り始めた東京の街並み、人々の暮らしぶりの写真の中から、昭和30年代の下町を中心とした129点を選んで展示しています。

61-5 写真展 23.10.3.jpg


61-6 写真展 23.10.3.jpg都電の姿も、人々の営みと合わせ、その姿をいまに伝えています。
東京がまだ、モータリーゼーションの波に飲み込まれる直前の、貴重な姿です。

台東区御徒町の雑多な光景−。
まもなく東京オリンピックの槌音が聞こえてくると説明されています。
なんともいえない、時代の“空気”を感じます。

61-7 写真展 23.10.3.jpg

デパートの屋上と食堂です。
昭和32年、浅草松屋、いまの東武鉄道浅草駅のビルの屋上です。
当時、どこのデパートの屋上にも遊園場があり、子ども達の天国でした。

61-11 写真展 23.10.3.jpg

そして、たっぷりと遊んだ後の食堂でのご馳走も…。
まさに子どもたちの天国であり、“ハレの日”した。
デパートの遊園場、大食堂…。
母に手を繋いで連れて行かれたことを思い出します。

61-12 写真展 23.10.3.jpg

昭和30年。銀座界隈の公衆電話の光景です。
板1枚で仕切られた狭い場所…。

61-4] 写真展 23.10.3.jpg

この写真展を報道した東京新聞9月30日付けの記事によると、高度成長期に向かい始めたこの時代に絞った作品展を秋山さんが企画した動機は、「3.11」の東日本大震災だったということです。

東日本大震災の被災地の姿が、かつて自身が見た敗戦後の東京下町の焼け野原の光景とダブったということです。

写真に写る当時の東京下町の人々はとても力強く、敗戦と震災の違いはあるものの、必ずや被災地も復興して欲しいという願いを込めて、50数年にわたり撮り続けてきたカットの中から、展示する作品を選んだということです。

61-8 写真展 23.10.3.jpg

会場でお会いした、秋山武雄さんです。
1937年生まれ。写真集団「むぎ」代表
ニッコールクラブ会員です。

この写真展にあわせて出版した同名の写真集の中で秋山さんは、東日本大震災の被災者がガレキの中から必死にアルバムを探す姿に触れ、“写真は二度と映すことの出来ない大切な家族の絆を映している”と述べています。また“多くの人々が共通に持つ過ぎ去った時代”を映しているとも述べています。

昭和の時代を映した写真展は数多くありますが、秋山さんはプロの商業写真家として時代を映してきたのではなく、市民として“人々の暮らし、気持ち”をふつうの目線で記録し続けてきたのだと思います。
そのことが、観る人の気持ちを掴んで離さないのだと思います。
私が訪れたのは平日の午後でしたが、会場は足を運んだ多くの人たちの熱気で溢れていました。

61-9 写真展 23.10.3.jpg

秋山さんとは初めてお会いしたのですが、「ブログでご紹介したいのですが…」とお願いしたところ、掲載について快諾を頂きました。

『昭和30年代  瞼、閉じれば東京セピア』写真展は、10月11日まで、東京銀座の「銀座ニコンサロン」(03-5537-1469)で開催されています。

[撮影データ]
  〇『昭和30年代  瞼、閉じれば東京セピア』写真展
     東京銀座の「銀座ニコンサロン」にて
  〇平成23年10月3日撮影

posted by 特急高尾号 at 00:31| Comment(0) | トピックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする