2016年11月27日

No318 2016.11.22 進化した津波・防災報道


318-1 津波警報画面 28.11.22.jpg

平成28年11月22日の早朝午前5時59分、福島県中通り地方を中心に震度5弱の強い地震が発生、福島県沿岸地方に津波警報、接続する隣県の沿岸部に津波注意報が発令されました。

地震発生・津波警報発令直後のNHK総合テレビの画面です。
この画面を見た瞬間、『あっ、これまでとは違う!』とすぐに感じました。
「すぐ にげて!」という避難呼びかけの文字が、ひらがなで、画面中央に大きく書かれていました。

いつも冷静沈着なアナウンサーが、『命を守るために、すぐ高台に逃げてください!』、『東日本大震災を思い出してください!』と強い語気で、何度も何度も繰り返していました。

318-4 津波警報画面 28.11.22.jpg

午前8時過ぎ、仙台港で1m40cmの津波を観測した時の画面です。
「津波」、「避難」、「福島」など、必要不可欠な漢字にはフリガナが付けられました。漢字がまだ読めまい子どもや国内に滞在する外国人に対する配慮と思われます。

今回の津波報道では多数の視聴者撮影映像や、自衛隊撮影の映像も放映されていました。
またいつもは英語だけのバイリンガル、2か国語放送も、英語、中国語、韓国語、そしてスペイン語も加わった4か国語放送となっていました。

1mを越える津波の到来は、5年前の東日本大震災以来とのことでした。
今回の放送では、5年前の「3.11」東日本大震災の教訓も生かされていたことと思います。
瞬時に提供される津波に関する多数の情報、様々な映像、多彩な言語放送、きめ細かなアナウンスなど、このような防災情報を瞬時にして放送できるのは、世界でも地震大国日本の放送局だけ、わけてもNHKの存在は大きいと改めて感じた報道でした。

こうした放送の背景には、今日の情報伝達技術、デジタル処理技術の成せる技があること、また一般視聴者が自ら撮影したスクープ映像をテレビ局へ提供することが日常化してきたこと、さらに行政や自衛隊なども独自に撮影している映像をメディアへ提供するなど、防災・災害報道も日々進化していることを如実に示している事象でした。

こうしたノウハウの国際的な展開・提供も、今後日本が果たしうる国際貢献の一つだと思います。

[撮影データ]
 〇平成28年11月22日 午前5時59分
  福島県沖M7 震度5弱地震発生
  NHK総合テレビ画面

続きを読む
posted by 特急高尾号 at 13:05| Comment(0) | トピックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

No317 あれ〜っ! 駅前に銅像が3人並んで−。



南国・高知、JR高知駅南口前の、「こうち旅広場」です。
高知県が観光拠点の一つとして整備したものです。

317-1 高知駅前の3つの銅像.jpg

後ろは、JR高知駅です。
この広場に立ってびっくりするのが、この銅像です。
高さが8メートルもある銅像が、なんと3人も並んでいるのです。

317-2 高知駅前の3つの銅像.jpg

銅像といえば、ふつうは偉業を成した人や親しまれた名士などが1人で立っているのが相場ですが、ここは3人、しかも仲良く並んで立っているのですから、驚かないわけにはいきません。

ではいったいこの3人は誰なのか−。何のためにここに並んで立っているかと言いますと−。

317-4 高知駅前の3つの銅像 28.10.24.jpg

その答えは、銅像では左から順に、上の写真では右から順に、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎です。
尊王攘夷の幕末時代、何とか時代を変えようと奔走した土佐藩の志士、「土佐勤王党」の面々です。ご存知の方も多いと思います。

317-7 高知駅前の3つの銅像 28.10.24.jpg

ではどうして、何のためにここにと言えば、NHK大河ドラマ「坂本龍馬」の放映の翌年、2011(平成23)年7月から高知で開催された「志国高知 龍馬ふるさと博」のシンボルとして、観光振興、地域活性化を願い、また「土佐勤王党」結成150年を記念して建てられたという事です。
いわば観光高知のランドマーク的役割りを付されたという事でしょうか。

実はこの3志士像は銅像ではなく、銅像に似せたレプリカです。
ではオリジナルの実物銅像はといいますと、武市半平太は高知県内須崎市に、坂本龍馬はご存知高知市桂浜に、中岡慎太郎は室戸市にあって、それぞれ現在も志しの想いを今に伝えています。

3人の銅像の説明文には、幕末時代の志士の熱い想いは今の時代にも通じるものがあり、"現代の志士" もまた必要なのではないかという意味の案内がありました。

317-6 高知駅前の3つの銅像 28.10.24.jpg

317-5 高知駅前の3つの銅像 28.10.24.jpg

観光用のレプリカとはいえ、現在を生きる人々の営みを日々見つめている幕末の土佐3志士の胸中は、さて何を想っているでしょうか。

ど肝を抜くような大胆なアイデアに感心し、さすが高知!、さすが土佐人!と思いつつ、そんなことが私の胸中を巡りました。

[撮影データ]
 〇土佐の志士 3人像
  JR土讃線 高知駅南口 「こうち旅広場」
 〇平成28年9月24日撮影

posted by 特急高尾号 at 16:19| Comment(0) | 街角アラカルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

No316 京都 七宝家並河靖之旧邸でベルギーの板ガラスに出会う


316 京都 並河邸.jpg

ここは京都・東山、平安神宮にほど近い白川沿いに建つ、七宝家の並河靖之の旧邸です。
並河靖之(弘化2年・1845−昭和2年・1927)は、明治・大正期に七宝焼きの名士として活躍し、国内のみならず3度もパリ万博に出品、数々の受賞を重ねて海外にもその名を知られました。

この旧邸は、職住一体として明治27年に構えた邸宅部分と工房跡です。
国の登録有形文化財に指定されており、現在は世界的コレクションとなっている靖之の七宝作品130点余り、それに下画、道具などを所蔵、展示する「並河靖之 七宝記念館」として公開されています。

316-2  京都 並河邸.jpg

邸内には主屋、旧工房、旧窯場をはじめ、京都市指定名勝に登録されている庭園があります。
近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、七代目小川治兵衛(植治)の初期の作庭で、七宝の研磨に使用するため初めて個人の民家に琵琶湖疎水を引き入れたもので、余水は邸宅と園池を潤いの空間としています。

316-3  京都 並河邸.jpg

ハイライトは、この主屋内の応接間の造りです。
欧州など海外からの賓客を始め、七宝焼き買付けのために訪れる来訪者に日本庭園を楽しんでもらうため、背の高い外国人に合わせ、敷居から鴨居までの高さを六尺(約182cm)にするなど、当時の日本家屋よりも高くしてあるという事です。
一方、椅子に座ったままで庭園を見られるよう障子は板ガラスとし、目線の高さで引き回すなど、おもてなしと創意工夫に富んだ開放感いっぱいの造りとなっています。

316-4  京都 並河邸.jpg

説明にあたっているボランティアの人の話によると、邸宅の中に七宝焼きの工房や窯、庭園も設置し、そして主屋の鴨居の高さも、開放的なガラス障子の造作も、全ては日本の伝統美の中に海外からの客人を招き、七宝焼きの良さを理解してもらいたいという並河靖之の願いだったという事です。
またある意味、七宝焼きの海外輸出を円滑に進めるための戦略的意味合いもあったと言います。

316-5  京都 並河邸.jpg

そして私が驚いたのは、実はこの主屋の、ガラス障子の板ガラスです。
明治時代、我が国では一般民家での窓の板ガラス製造・使用はまだ行われておらず、(民家での板ガラス使用は大正年代に入ってから)、この板ガラスはわざわざベルギーから輸入したのだそうです。
1枚、1枚の板ガラスを見ていると、この板ガラスが明治時代、海外から訪れる訪問者に日本庭園を心ゆくまで楽しんでもらうためにベルギーから取り寄せたものだと知ると、並河靖之の並々ならぬ想いが伝わってきて、しばし立ち止まってしまいました。

ちなみにこのベルギー産の板ガラスですが、古くは戦後間もなく四国や関西方面に大きな被害をもたらした南海大地震や数々の地震・台風災害、近年では阪神大震災などにも耐え、今日まで1枚も割れていないということですから驚きです。

316-6  京都 並河邸.jpg

明治、大正、昭和、平成と、約120年もの長い間、異国の地で、戦禍や自然災害にもめげず京都の旧邸宅で生き続けるこのベルギー産の板ガラスに、大きな感銘を受けたことでした。

316-7-2  京都 並河邸.jpg

316-8  京都 並河邸.jpg

またこの旧邸宅には「通り庭」と呼ばれる土間があり、接客や調理も含めた家事の作業空間などが保存されていて、明治から伝わる京町家の暮らしの空間を直接肌で感じることが出来ます。

通いなれた京都で、明治の住宅・庭園の佇まいを今に伝える京都の文化遺産、暮らしの場を知り、またよもやその空間の中で、明治期に輸入されたベルギー産の板ガラスと対面することなど、夢にも思いませんでした。

こうした経験は、面々と受け継がれている地域文化を知ることでもあり、まさに "京都学" を学んだ、楽しいひと時でした。
こうした“知る喜び”こそ、旅の醍醐味ですね。

[ご参考]
 並河靖之 七宝家
  七宝技法の精緻さや豊かな色味が高く評価され、
  3度のパリ万国博覧会をはじめ、国内外で数々の受賞を重ねる。
  実業家、七宝家として1893(明治26)年に緑綬褒章、
  1896(明治29)年には帝室技芸員を受け、その地位を不動のものと
  した。

  【帝室技芸員】  
  戦前の日本で宮内省によって運営されていた、 美術家や工芸家の
  顕彰制度
  優秀な美術家・工芸家に帝室からの栄誉 を与え、保護と奨励、発展を
  図った。

[撮影データ]
  〇「並河靖之 七宝記念館」(旧邸宅・工房跡)
  〇平成28年9月28日撮影

 *本記事は、「並河靖之 七宝記念館」で入場時に渡される
  公式パンフレット、及び敷地内各所の説明ボード内容、
  また敷地内でボランティア活動を行っている説明員の説明をもとに、
  所感も交えて構成しました。

posted by 特急高尾号 at 11:19| Comment(2) | 街角アラカルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

No315 京都・祇園で出会った凄いディスプレー


315-1 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29.jpg

京の街、祇園を歩いている時、ふとしたことで昨年6月にオープンした「漢字ミュージアム」に行きつきました。
そしてこの施設内にある「京都祇園祭ぎゃらりぃ」で、もの凄いディスプレー、「デジタルサイネージ屏風(びょうぶ)」と出会いました。
何しろディスプレーが屏風のように交互に角度をとって連結し、動画像が展開されていたのです。

315-2 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (2).jpg

古典の屏風絵が、一瞬にしてご覧のような、現代の祇園祭り映像に変わりします。
最初、遠目に見た時はふつうの屏風に見えたのですが、近づいて見ると、これがハイビジョンモニターだと知って本当に驚きました。

315-3 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (3).jpg

縦型の70インチの液晶モニター6枚が、屏風状に並べられています。
全体で横幅5メートルを超える6枚の各モニターには、日本3大祭りの一つ、京都祇園祭りのコンセプトムービー「平成の洛中洛外図屏風」が上映されていました。

過去から現在にと受け継がれている祇園祭の迫力あるハイビジョン高精細度映像が、時に6枚個別に、時に6枚全体が連動して画面いっぱいに、多種・多様に展開し、見るものを完全に釘付けにします。

315-4 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (4).jpg

東京国立博物館が所蔵する岩佐又兵衛筆「洛中洛外図屏風(舟木本)」は国宝に指定されていますが、古都京都の世界から今日の祇園祭までを、最先端映像技術で表現したこのコンセプトムービー「平成の洛中洛外図屏風」は、まさに現代技術がもたらした先端のデジタル絵巻で、一見の価値大ありです。

315-5 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (5).jpg

315-6 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (6).jpg

またこの京都祇園祭ぎゃらりぃには、実物大の展示山鉾が展示されています。
祇園祭では山鉾の骨組みは装飾の下に隠れて見ることが出来ませんが、ここでは内部の構造が手に取るようにわかります。

315-7 京都 漢字ミュージアムギャラリーのディスプレー  28.9.29 (7).jpg

この「漢字ミュージアム」は、八坂神社手前の四条通に面した右側、もと弥栄中学校の跡地にあります。

315-8 祇園 28.9.29.jpg

315-9 祇園 28.9.29.jpg

「漢字ミュージアム」の近くには祇園の中心通り、花見小路通もあります。老舗の料亭や お茶屋さんが立ち並び、いかにも古都らしい景観や趣のある祇園の街並みを楽しめますし、運が良ければこのような光景にも出会います。

花見小路通散策の折、京都の新しい学びスポット、「漢字ミュージアム」と「京都祇園祭ぎゃらりぃ」訪れる価値は大いにあります。素晴らしい展示物や映像コンテンツを、ぜひ楽しんでください。

[撮影データ]
  〇京都・祇園「漢字ミュージアム」、及び「京都祇園祭ぎゃらりぃ」
    アクセス他は、下記を参照してください。
  〇平成28年9月29日撮影
[参考サイト]
  〇「漢字ミュージアム」 入場有料
  〇「京都祇園祭ぎゃらりぃ」 入場無料
    ギャラリーは、日本漢字能力検定協会と祇園祭山鉾連合会が
    設立したNPO法人「京都まつり・文教教会が運営しています。

続きを読む
posted by 特急高尾号 at 11:48| Comment(0) | 街角アラカルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする